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赤城の伝説

赤城の伝説

赤城にまつわる伝説の数々を紹介します。TV番組でも群馬出身の糸井重里さんも参加して、大規模な発掘調査を行って話題になった徳川幕府の「赤城山の埋蔵金伝説」をはじめ、古来より伝わる日光二荒山と赤城山の神の神戦伝説、千葉県流山市の地名伝説まで幅広く紹介します。

赤城姫の伝説~大沼と小鳥ヶ島~

赤城の伝説 2011.06.28(火)

赤城姫の伝説~大沼と小鳥ヶ島~高野辺大将家成は、都を追われて上毛野国にやってきました。家成には、たいへん美しい二人の姫がおりました。名を赤城姫と淵名姫といい、その美しさと気立ての良さは誰もが憧れるほどでした。都を追われたものの、家成一家は上毛野国で仲睦まじく幸せに暮らしていました。

ところが、姫たちの母は突然の病に倒れ、急逝しまいます。家成は残された子供たちを不憫に思い、側室の柱御前を新しい母親に迎えます。新しい母、柱御前と家成の間にも二人の姫が生まれます。しかし、この二人の姫の容姿と性格は赤城姫、淵名姫たちには到底太刀打ちできるものではありませんでした。柱御前は家成の赤城姫、淵名姫への愛情と、姫たちの美しさに嫉妬し、憎悪の念をたぎらせ、時あらば二人を亡きものにしたいと考えておりました。

そんなある日のこと、都より「家成の罪を許し、上毛野国の国司に任ずる」という報せがまいります。家成は国司任官のため、大勢の従者を連れて都に向かいました。 すると柱御前はこの時とばかり、二人の姫を襲い淵名姫を殺してしまいます。しかし、赤城姫はかろうじて追っ手を振り切り 赤城の山へとたどりつきました。 この報を聞いた家成は、急ぎ上毛野にとって返し、柱御前を捕らえ、姫を求めて赤城山へ出向きました。
大沼の辺りまで来ると、大沼の東岸より一羽の鴨が泳いできます。そして、翼を広げたその背には、赤城姫と淵名姫の姿がありました。 二人の姫は赤城大明神に召されて、赤城の神様になったのです。また二人の姫を乗せた鴨は大沼の東に戻り、小鳥ヶ島になったのだそうです。

以来、赤城の神様にお願いした女性の願い事は必ず叶えられ、この神様にお願いすると美人の娘が授かると言われています。

>>元宮赤城神社

赤堀道元の娘

赤城の伝説 2011.06.28(火)

赤堀道元の娘赤城山麓赤堀の豪族、赤堀道元の16歳になる娘が、お供を連れて赤城山に参拝出かけた。月田村で一休みしたが、ここで馬が倒れて死んでしまい、かごに乗り換えて月田村を出発したそうです。そして、娘は赤城山の小沼(コノ)のほとりで突然水中に引き込まれて沼の主の龍になってしまった。悲嘆にくれた赤堀道元は、娘の命日に供養として赤飯を重箱に入れて供えたそうです。すると翌日には空になった重箱が戻ってくる。その後、16歳の娘が小沼のそばを通るときは、引き込まれないよう身代わりに鏡を投げ入れるようになったそうです。

他にも小沼のほとりで沢山のムカデが現れ、沼に引き込まれ、龍蛇の姿になって現れた。赤堀氏の祖先藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治の因縁とする言い伝えがあります。

赤城山埋蔵金伝説

赤城の伝説 2011.06.28(火)

赤城山埋蔵金伝説①明治新政府は江戸城内の金蔵が空だったことから、幕府が御用金を隠匿したと判断して御用金探し行った。

②大政奉還時に幕府の財政責任者・勘定奉行であった小栗忠順が幕府の金を持って逃げたといった噂や「利根川を遡って来た船から誰かが何かを赤城山中へ運び込むのを見た」という証言があった。

③幕府の将来を憂慮した大老井伊直弼が莫大な金を埋蔵することを企て、井伊直弼が横死した後、およそ360万~400万両が赤城山麓に埋蔵された。小栗忠順は機を見て埋蔵金を掘り返し、幕府再興を画策する役を負っていた。 などの伝聞から赤城山埋蔵金伝説が生まれた。

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