HOME > 赤城の神秘 > カテゴリー '赤城の伝説'
赤城の伝説

赤城の伝説

赤城にまつわる伝説の数々を紹介します。TV番組でも群馬出身の糸井重里さんも参加して、大規模な発掘調査を行って話題になった徳川幕府の「赤城山の埋蔵金伝説」をはじめ、古来より伝わる日光二荒山と赤城山の神の神戦伝説、千葉県流山市の地名伝説まで幅広く紹介します。

流山地名伝説

赤城の伝説 2011.06.28(火)

流山地名伝説流山のまちには標高15mほどの「赤城山」という小山があります。伝説によると、その昔大洪水によって群馬の赤城山が崩れ、その土塊がこの地に流れ着いてできた山で、山が流れて来たから“流山”という地名がついたのだそうです。また、赤城神社のお礼が流れ着いたからとも言われているそうです。 この小山「赤城山」の山頂にも赤城神社が祀られていて、その伝説の書かれた碑も見ることができるそうです。

珊瑚寺七不思議伝説

赤城の伝説 2011.06.28(火)

珊瑚寺七不思議伝説1.乳房の銀杏: 地蔵堂参道の右側の銀杏の大木が、乳房の銀杏と呼ばれている。乳の不足する母親が、この木の枝で作った箸を食事に用いると、乳の出がよくなると伝えられている。

2.赤面観音: 鏡池の真ん中に祀られている観音様。一心に願をかけながらそのお顔に池の水をかけ、顔が赤くなると願いがかなうという言い伝えがあり、こう呼ばれている。

3.鏡池: 地蔵堂東にある池。日照り続きの時も、大水が出るような時にも、水量は増減することなく常に澄んだ清水をたたえていると言われる。

4.不動の滝: 本堂裏手に流れ落ちる滝。昔、三代吉という者が、珊瑚寺境内に滝を造るべしという不動様のお告げの夢を見た。早速工事に取りかかったが、難航し思案にくれていたところ、とどこからともなく不動様が現れ、瞬く間に滝を完成させてしまったということである。

5.穴薬師: 地蔵堂左手、杉の根本にあるこの薬師は弘法大師の作と言われている。以前は石穴の中に祀られていた。この薬師像は他の場所に移しても、その夜のうちに必ずこの穴の中へ戻ってしまったということである。

6.涙の梅: 源景時の妾であった女が、杖として携えていた梅の枝を挿したものが根付いたと言われる梅ノ木。月の澄んだ晩、和尚が根元で一心に禅定に入っている姿に感服した梅の木から、しきりに露がしたたり落ちたという。以後涙の梅と呼ばれ、念仏を唱えながら三廻りすると露がしたたると伝えられている。

7.臥牛石: 珊瑚寺石門の左側にある石。人々がこの石に願いごとをすると、石が牛に姿をかえ、その人にかわり善光寺にお参りをしたと言われている。

神戦「赤城と日光二荒山神戦」

赤城の伝説 2011.06.28(火)

神戦「赤城と日光二荒山神戦」赤城山の神と二荒山の神が争って、赤城山の神が勝ち、二荒山の神が流した血で山が赤くなった。逆に、二荒山の神が勝ち、赤城山の神が流した地で山が赤くなった。そうして赤き山→赤城山と呼ばれるようになった、という伝説が各地に伝わっています。

ある時、赤城山の神様は、日光中禅寺湖の領有を主張し、それを認めない日光二荒山の神様との戦いが始まった。赤城山の神様は大ムカデ、日光二荒山の神様は大蛇に化身し、日光の戦場ヶ原で戦った。
初めのうちは、足尾の細尾が加勢し、二荒山の神様は苦戦し、下毛野国に押し返されてしまった。そこで日光の神は、鹿島の神の紹介を受け弓の名人の猿麻呂の助太刀を得た。猿麻呂が駆けつけると、たくさんのムカデとこれまたたくさんの蛇が戦っている。猿麻呂は、無数のムカデのうち、すぐれて大きな百足が赤城の神だと、矢をムカデの左目に当てた。すると、ムカデはたまらず逃げていってしまった。傷ついたムカデが赤城山に帰り、その血で山が真っ赤に染まり、以来「赤き山⇒赤城山」と呼ばれるようになった。(栃木県の伝説)

 上毛新聞刊「なるほど 赤城学」(東京福祉大学・大学院教授 栗原久先生)によれば、ほかにも、二荒山の神の流した血で山が染まる伝説(桐生市新里町)、赤城山の神は大蛇に二荒山の神はムカデに化身して赤城山の神が二荒山の神を打ち負かし追い返す伝説(老神温泉)、二荒山の主の大蛇が赤城山の主の大ムカデに苦しめられて坂上田村麻呂に助けを求め、敗走する大ムカデの足跡が菅沼・丸沼になる伝説(片品村)、日光二荒山の神が赤城の沼の領有を主張して戦になる伝説(栃木県)などが伝わっています。
 大和朝廷の支配下で毛野国が渡良瀬川を境に上毛国と下毛国に分割され、その後激しい領地争いの戦いがあったようで、これが赤城山と二荒山の神々の争いとして伝承されている、と指摘なされています。

>>赤城山の神が大勝利!老神温泉の伝説はこちら

老神温泉の伝説

赤城の伝説 2011.06.28(火)

老神温泉の伝説老神温泉に伝わる赤城と日光の神様同士の神戦伝説では、日光二荒山の神様がムカデ、赤城の神様が蛇に化身し、戦いを繰り広げます。そのことにちなんで、老神温泉では、毎年五月七日・八日には“大蛇祭り”が行われています。

領地をめぐって争いを起した赤城山の神と二荒山の神は、何度も話し合ったが決着がつかず、ついに合戦となった。蛇に化身した赤城山の神と、ムカデに化身した二荒山の神は、戦場ヶ原で戦いを繰り広げた。赤城山の神は、流れ矢にあたり負傷してしまい、なんとか赤城山の麓まで逃れてきた。そこで矢を抜き、その矢を地に突き刺すと不思議なことにこんこんと温泉が湧き出してきた。負い傷を湯に浸してみると、これまた不思議なことに傷はたちどころに治ってしまう。
傷の治った赤城の神は反撃を開始するが、勢いづいている二荒山の神に苦戦を強いられる。赤城山の神は必死の防戦を繰り広げ、ついに地形を利用して深手を与え、二荒山の軍勢を見事追い返した。
その後、この土地は赤城山の神が二荒山の神を追い返したことから「追い神」と呼ばれるようになり、赤城山の神は温泉で老いるまで過ごしたので「老神」といわれた。(沼田市利根町の伝説)

老神(おいがみ)温泉という名称の由来には、「赤城の神様が追われて来たため」という説と「傷ついた神が敵を追い返す力の基となった温泉と言うことで“追神⇒老神”と呼ぶようになった」という異なった二つの伝説が残っています。

赤城姫の伝説~大沼と小鳥ヶ島~

赤城の伝説 2011.06.28(火)

赤城姫の伝説~大沼と小鳥ヶ島~高野辺大将家成は、都を追われて上毛野国にやってきました。家成には、たいへん美しい二人の姫がおりました。名を赤城姫と淵名姫といい、その美しさと気立ての良さは誰もが憧れるほどでした。都を追われたものの、家成一家は上毛野国で仲睦まじく幸せに暮らしていました。

ところが、姫たちの母は突然の病に倒れ、急逝しまいます。家成は残された子供たちを不憫に思い、側室の柱御前を新しい母親に迎えます。新しい母、柱御前と家成の間にも二人の姫が生まれます。しかし、この二人の姫の容姿と性格は赤城姫、淵名姫たちには到底太刀打ちできるものではありませんでした。柱御前は家成の赤城姫、淵名姫への愛情と、姫たちの美しさに嫉妬し、憎悪の念をたぎらせ、時あらば二人を亡きものにしたいと考えておりました。

そんなある日のこと、都より「家成の罪を許し、上毛野国の国司に任ずる」という報せがまいります。家成は国司任官のため、大勢の従者を連れて都に向かいました。 すると柱御前はこの時とばかり、二人の姫を襲い淵名姫を殺してしまいます。しかし、赤城姫はかろうじて追っ手を振り切り 赤城の山へとたどりつきました。 この報を聞いた家成は、急ぎ上毛野にとって返し、柱御前を捕らえ、姫を求めて赤城山へ出向きました。
大沼の辺りまで来ると、大沼の東岸より一羽の鴨が泳いできます。そして、翼を広げたその背には、赤城姫と淵名姫の姿がありました。 二人の姫は赤城大明神に召されて、赤城の神様になったのです。また二人の姫を乗せた鴨は大沼の東に戻り、小鳥ヶ島になったのだそうです。

以来、赤城の神様にお願いした女性の願い事は必ず叶えられ、この神様にお願いすると美人の娘が授かると言われています。

>>元宮赤城神社

赤堀道元の娘

赤城の伝説 2011.06.28(火)

赤堀道元の娘赤城山麓赤堀の豪族、赤堀道元の16歳になる娘が、お供を連れて赤城山に参拝出かけた。月田村で一休みしたが、ここで馬が倒れて死んでしまい、かごに乗り換えて月田村を出発したそうです。そして、娘は赤城山の小沼(コノ)のほとりで突然水中に引き込まれて沼の主の龍になってしまった。悲嘆にくれた赤堀道元は、娘の命日に供養として赤飯を重箱に入れて供えたそうです。すると翌日には空になった重箱が戻ってくる。その後、16歳の娘が小沼のそばを通るときは、引き込まれないよう身代わりに鏡を投げ入れるようになったそうです。

他にも小沼のほとりで沢山のムカデが現れ、沼に引き込まれ、龍蛇の姿になって現れた。赤堀氏の祖先藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治の因縁とする言い伝えがあります。

1 / 212

赤城山ライブカメラの映像

赤城大沼

群馬県の天気

赤城山スポット天気

日本気象協会
日本気象株式会社

交通情報は、このサイトの最下欄をご覧ください

赤城山 on Twitter「赤城山なう」

赤城山での思い出をTwitterでつぶやいてみませんか?
赤城山をツイッターでつぶやく

ブログ検索 赤城山