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赤城の史跡

赤城の史跡

「あかぎ風ライン」に点在する名所旧跡を紹介するコンテンツです。七不思議伝説のある珊瑚寺をはじめとする由緒正しい神社仏閣、城跡などなど… ここにくれば、例えば「上泉伊勢守の足跡をたどって」などと、歴史散歩に出かけたくなるコンテンツにしていきます。

山上城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

「花の慶次」に登場する山上道及の居城
山上城跡大胡氏と同じく藤姓足利氏の一族の山上氏。平安末期に足利五郎高綱が当地に居城を築き、山上氏と称したという歴史深さだ。
膳城のほどちかく、徒歩10分程度の位置にあり、山上氏が追われてからは城主城代は膳城と兼任のような状況が続くため、戦国時代中ごろ以降は膳城とほとんど変わらない歴史を持つ。最後は北条の滅亡とともに廃城となった。 続きを読む…

深沢城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

深沢城3阿久沢氏が支配した、赤城山東麓を沼田へ抜ける根利道(ねりみち)の入り口
築城年代は定かではないが永禄年間(1558年~1570年)頃に阿久沢氏によって築かれたとされる。根利道は沼田~桐生をショートカットで結ぶ山道だ。
上杉謙信にとっては新潟から関東へ進撃する場合、前橋が敵の手に落ちる可能性を想定すると、この道の重要性は計り知れない。
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女渕城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

女淵城1最大幅90mの水濠で守られた本丸も、今は住民憩いの場

沼田家の内乱(1560ころ?)で放浪の身となった沼田平八郎景義が一時居城とした城。
沼田景義は、上杉謙信が没した混乱のなか、由良氏を頼って女淵城から出撃し、祖地沼田の奪還を計ったが、真田幸昌の計略に敗れる。 続きを読む…

上泉城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

柳生宗厳、宝蔵院胤栄を弟子に従えた 剣聖・上泉伊勢守の城
上泉伊勢守信綱像上泉城 は大胡城の支城で、大胡氏一族を補佐する立場にあった上泉氏の居城。天文24年(1555)に、北条氏康に攻められて開城し、城主であった上泉伊勢守信綱は箕輪城の長野氏の配下に納まる。その後の武田や北条の上州侵攻では大勢力の軍勢を相手に奮戦し、君主の長野業盛からは「上野国一本槍」と感謝状を授かっている。 続きを読む…

大胡城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.17(火)

大胡城址入り口駅から1kmの本格城跡
大胡城は平安、鎌倉の昔から活躍した大胡氏の居城。
現在のこる城址は、戦国時代に整備されたもので、天文年間(1532~1555)の築城とされる。また、江戸時代に入り初代の大胡藩主となった牧野康成の手による整備のあとも残る。 続きを読む…

前橋城 特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.13(金)

前橋城車橋門跡前橋城は、現在は群馬県庁や前橋市役所となっている、前橋市大手町の一帯にあった。
 戦国時代のには、このあたり一体の地名は、街道の橋のたもとに馬つなぎ場があったことに由来する「厩橋」で、藩は「厩橋藩(まやばしはん)」、城は「厩橋城(まやばしじょう)」だったが、江戸時代に入ってから酒井家第5代藩主の忠挙のときに、まるごと「前橋」「前橋藩」「前橋城」に改称された。
 この地に城が築かれたのは室町時代のこと。関東管領の山内上杉家に従っていた長野氏により、箕輪城の支城として作られた石倉城が厩橋城のルーツとされる。長野氏の一族は本流の箕輪長野氏、この厩橋城を拠点にした厩橋長野氏、そして長野一族の古くからの拠点である鷹留城の鷹留長野氏の3家の勢力で戦国時代を迎えた。
 厩橋長野氏は、上杉勢力の中では家老一族だった長尾氏である白井長尾氏や総社長尾氏ほどの権力はなかったが、上杉氏や長尾氏が謀反に内紛にと忙しい中で、次第に頭角を現し、本流の箕輪長野氏とともに西群馬の中心的存在に成長していった。 続きを読む…

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