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赤城の史跡

赤城の史跡

「あかぎ風ライン」に点在する名所旧跡を紹介するコンテンツです。七不思議伝説のある珊瑚寺をはじめとする由緒正しい神社仏閣、城跡などなど… ここにくれば、例えば「上泉伊勢守の足跡をたどって」などと、歴史散歩に出かけたくなるコンテンツにしていきます。

長井坂城/棚下の砦 特集・真田氏ゆかりの赤城山麓の城跡3/4

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

長井坂城(ながいさかじよう)

長井坂城1この城で、あるときは沼田の境目城(さかいめじよう)、あるときは白井の境目城となり、数度の激戦が展開されました。
 永禄年間(1558~)はじめに長尾(ながお)景虎(かげとら)(後の上杉謙信)により、築城されたといわれます。また、小田原北条(ほうじよう)方だった白井長尾氏が支配していた時期があり、北条流の築城技術が見られるといいます。 続きを読む…

白井城  特集・真田氏ゆかりの赤城山麓の城跡2

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

白井城(しろいじよう)

吾妻川を利用した自然の要害

  利根川と吾妻川の合流地点、吾妻川に面した断崖上に築かれています。総構は東西800m、南北1,000mの規模で、当然ですが、渋川市内で最も巨大な城跡です。(赤城山麓の城ではありませんが、重要な城跡のため紹介します。) 続きを読む…

沼田城(倉内城・霞城)  特集・真田氏ゆかりの赤城山麓の城跡1

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

沼田城(倉内城・霞城)

真田氏の沼田領支配の拠点。北条家を滅亡に追いやった策略の舞台
沼田城1戦国時代から江戸時代にかけての平山城。利根川と薄根川の合流点、河岸段丘の台地上に築かれています。北と西の二つの川側は70mほどの崖になっていて、敵からの防御に向いています。

 築城については「加沢記」によると、桓武平氏の子孫の沼田景泰(かげやす)が築造したといいます。また、沼田顕泰(あきやす)が享禄3(1530)年から天文元(1532)年まで築城したといわれます。
 梯郭式の崖端城で東西800m、南北750mの総郭があります。 続きを読む…

五覧田城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

上杉・北条が欲しがった、交通の要衝

渡良瀬渓谷沿いを見下ろす五覧田城築城年代は定かではない。
五覧田城は、赤城山の東北を沼田方面から黒川谷(渡良瀬渓谷)に通じる根利道(ねりみち 現在でいえば群馬県道62号沼田大間々線)の要衝。周辺では松嶋氏が砦を築き、拠点としていた。現在の山頂に見られる大掛かりな城跡は、戦国時代の後半に、由良氏(東群馬の大勢力)や阿久沢氏(黒川谷の筆頭勢力)が整備した姿だ。
由良氏、阿久沢氏の領有に加え、越後から侵攻した上杉謙信や、一時は真田勢のものとなることもあった。

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膳城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

武田の勇猛を物語る「素肌攻め」の逸話の残る城
築城年代は室町時代の中頃であろうと考えられている膳氏の居城。
戦国時代に入ると赤堀氏に追われるが、膳氏は太田金山の横瀬成繁の家臣となり、その助けによって長享2年(1488)に帰城する。
その後横瀬氏は由良氏とあらため、一帯に勢力を拡大していく。
時代も下って戦国後期。北は上杉、南は北条、西は武田と、群馬で巨大勢力がにらみ合うなか、元亀3年(1572)に越相同盟が崩壊し、上杉と北条が争う状況に。由良氏は北条方に付くが、膳氏は上杉方にのこった。 続きを読む…

山上城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

「花の慶次」に登場する山上道及の居城
山上城跡大胡氏と同じく藤姓足利氏の一族の山上氏。平安末期に足利五郎高綱が当地に居城を築き、山上氏と称したという歴史深さだ。
膳城のほどちかく、徒歩10分程度の位置にあり、山上氏が追われてからは城主城代は膳城と兼任のような状況が続くため、戦国時代中ごろ以降は膳城とほとんど変わらない歴史を持つ。最後は北条の滅亡とともに廃城となった。 続きを読む…

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