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津久田城 特集・真田氏ゆかりの赤城山麓の城跡5

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

津久田城(つくだじよう)

 築城年代ははっきりしません。永禄年間(1558~1570)に津久田地衆によって築かれたともいわれています。土地改良により、遺構はかなり破壊されていますが、南北140m、東西300mの規模です。

 天正8年8月、沼田城にあった真田昌幸は、東上州に進出しようと、先陣海野輝幸はじめ3千余騎でこの城に迫り、城将牧弥六郎、須田加賀守らは白井城に退きました。天正10(1582)年滝川義太夫(一益の甥)が沼田に入ってから、津久田城は白井長尾氏の支配に戻り、牧和泉守が守りました。

 本能寺の変後、沼田城は真田氏に戻りました。城代となった矢沢頼綱は、北条氏との最前線で働き、先鋒中山右衛門尉は津久田城を攻めましたが、敗れて討死しました。また、北条(ほうじよう)氏照(うじてる)に仕えた狩野越後守康行が城主だったという記録もあり、「天正12(1584)年落城す、城を出在家に住居す」と記録されます。

現地情報

群馬県渋川市津久田

渋川市立赤城北中学校の西に位置するが、土地改良により跡形がない。中学校北側の道路を利根川方向へ進み南側を見上げると、城が川沿いの台地の突端に築かれていたことを感じることができる。

城マップ
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