沼田城(倉内城・霞城) 特集・真田氏ゆかりの赤城山麓の城跡1
沼田城(倉内城・霞城)
真田氏の沼田領支配の拠点。北条家を滅亡に追いやった策略の舞台
戦国時代から江戸時代にかけての平山城。利根川と薄根川の合流点、河岸段丘の台地上に築かれています。北と西の二つの川側は70mほどの崖になっていて、敵からの防御に向いています。
築城については「加沢記」によると、桓武平氏の子孫の沼田
梯郭式の崖端城で東西800m、南北750mの総郭があります。
永禄3(1560)年、
天正8(1580)年
関東すべての支配を主張する
天正17(1589)年、利根川を境に、東の沼田城は北条氏のもの、西の
天正18(1590)年徳川家康が関東に入部した際、秀吉の申し入れがあり、沼田城は真田昌幸にかえされ、長男
現地情報(西倉内町594)
本丸跡と二の丸跡は沼田公園(駐車場やトイレだけでなく、野球グランドやテニスコートまである)として、広く市民から愛されている。また、沼田小学校や沼田女子高等学校の敷地も、沼田城の一部を利用している。本丸には五層の天守閣があったとされるが、江戸幕府の命により破壊され、本丸北側の西櫓台の石垣と石段本丸跡が当時の名残が残っている。また、本丸跡には鐘楼が建設され、真田信吉が鋳造させた鐘(市民には「時鐘:ときのかね」として親しまれているらしい)が釣り下げられている。
捨曲輪跡には、城主沼田顕泰の側室の子、沼田平八郎景義の首級を載せた石とされる、「平八石」と呼ばれる石がある。平八郎は勇猛な武将で、沼田一族の争いに巻き込まれ一時は会津に逃れたが、沼田城奪還のため挙兵し沼田に迫った。しかし、平八郎を恐れた真田昌幸は謀略により平八郎を討ち取り、その首をこの石の上に置いた。亡骸は小沢城内に埋められ、首はここからそこまで飛んで行ったという伝説がある。
敷地内には、国指定重要文化財である旧生方家住宅や国登録有形文化財である旧土岐邸洋館が移築され有料で見学することができる。
現在、沼田市は2016年放送が決定した「真田丸」にちなみ、真田氏と関係の深い文化財の紹介に力を入れている。その一環で、公園内に写真のような立て看板がある。これは、戦国無双4(PS3、PS Vita、PS4)に登場する真田信之や小松姫(稲姫)のイラストを利用したコラボレーション看板となっている。
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