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女渕城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

女淵城1最大幅90mの水濠で守られた本丸も、今は住民憩いの場

沼田家の内乱(1560ころ?)で放浪の身となった沼田平八郎景義が一時居城とした城。
沼田景義は、上杉謙信が没した混乱のなか、由良氏を頼って女淵城から出撃し、祖地沼田の奪還を計ったが、真田幸昌の計略に敗れる。

上杉 vs 北条の最前線となった女渕城

一時は北関東に大きな勢力を誇った山内上杉氏が後北条氏に攻め込まれて群馬を追われ、一帯が後北条方の勢力となっていた永禄2年(1559)のこと。長尾景虎(2年後に上杉謙信となる)は、新潟に逃げ込んできた上杉憲政を頼られて、失った群馬の奪回を計画した。翌年には厩橋城(後の前橋城)を取り戻し、周辺の諸将の加勢を受けて南下を続け、北条氏を小田原まで追い戻した。このとき攻略した女渕城は、館林の赤井氏(城代毛呂氏)に加増として与えられた。

しかし永禄4年(1561)、赤井氏は謙信に従わなかったために、館林城を攻められ降参。女渕城や館林城は、足利長尾氏の長尾景長の所領になり、その家臣・新居与一長重が城代となる。ちなみにこの新居与一長重は、江戸時代に幕府のブレインとなる新井白石のご先祖様だ。

女淵城2

永禄12年(1569)に長尾景長が没して、足利長尾氏の家督を長尾顕長が継ぐことに。
長尾顕長は、由良家から長尾家に婿入りした、由良国繁の弟にあたる人物だ。乱世のなかで順調に勢力を保ち続けてきた由良氏は、ここで足利長尾氏を血縁に加えて、東群馬一帯では最大の勢力となった。赤城山の南裾から栃木の西側にかけての一帯では、この由良氏と足利長尾氏が連合し、おおむね後北条派として行動している。それに対して、桐生氏と佐野氏の陣営は、おおむね謙信派として由良・長尾に対抗し、しばしば戦を繰り広げていた。両陣営ともに、上杉と後北条の動向を伺いながら、自領で独立を保ち、時代が流れる。

一度、下方に掲載した地図を参照してほしい。厩橋城から膳城にかけては、上毛電鉄と県道3号線に沿って4~5キロおきに、上泉城、大胡城、女渕城、膳城と、横一列に並んでいる。
上杉方では厩橋(前橋)城が磐石の拠点なのに対して、後北条方は金山城の由良氏の勢力が優勢であったため、このラインで上杉・後北条の両勢力が拮抗した。たびたび厩橋に軍勢を率いてきた上杉謙信のみならず、後北条家も時には当主自らが軍を率いて、これらの城を奪い合う戦が行われた。

悲運の勇将・沼田平八郎景義 真田昌幸の謀略に散る

女渕城はその後由良氏の管轄となり、由良一族の傍流である矢場氏を城主に、その娘婿・沼田景義を城代に配置した。
沼田景義は沼田城主沼田顕泰の末子だったが、領主の座や上杉・北条の帰属をめぐる内紛に敗れ、父とともに会津に敗走した。しばらく雌伏のときを過ごしたが、由良国繁の手引きで、矢場氏に婿入りして女渕城に戻っていた。
 天正9年(1582)の春のこと。沼田景義は、前年の天正8年に真田昌幸の手に落ちた沼田を奪還しようと、由良氏、矢場氏らの助けを得て挙兵した。景義の一行が赤城山を回りこみ旧領の沼田に進軍すると、元の領主を慕って駆けつけた武士たちも加わり、一大軍勢となって沼田城に迫った。
これに対して真田昌幸は、沼田景義の実の伯父であり、沼田衆として真田に仕え城内にいた金子家清と計略をめぐらせる。

金子家清は城を出て、攻めてきた景義に直接面会すると「城をあけわたし、城主として迎える」と告げる。景義は、伯父であり、沼田家家老だった金子の言葉を疑うことなく、その申し出を喜んだ。
景義は武装を解き、金子とともに沼田城内へ。金子の配下の将たちは、出迎えの礼を行うそぶりから、いきなり抜刀して景義に切りかかった。金子は間髪入れず景義の左の脇を、三度にわたり刺し貫いた。
景義は「金子、金子、金子、」と、凶刃を突き立ててきた伯父の名を三度口にしたのを最後に絶命。この事件によって、源頼朝にも従った古豪・沼田家の嫡流は途絶えてしまった。(加沢記)

その事件の翌年、信玄・謙信も信長も没した後の天正10年(1583)になると、群馬一帯は沼田の真田氏を除いては全域が後北条氏の勢力圏になるが、天正18年(1590)、小田原の役によって後北条氏が滅びると、女渕城も開城し、廃城となっていった。
女淵城3

現地情報

前橋市粕川町女渕1221番地ほか

女淵城本丸跡「おなぶち城跡公園」として整備され、駐車場のほか、多目的広場、東屋、水飲み場、トイレなども完備している。「渕」という字が表すかのように、最大幅90mにもなる水濠によって囲まれた水城である。
本丸の周囲にも堀が巡らされているが、堀に面した城塁はコンクリートで工事されている。城跡公園というより皆が使いやすい公園へ整備したという印象で、現地にも行った時も、近所の方が犬の散歩やウォーキングに利用していた。なお、本丸跡は現在畑として利用されているようで、その一角に石碑が立っていた。

城マップ

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