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上泉城  特集・赤城山南麓の城跡

特集, 赤城の史跡 2015.02.18(水)

柳生宗厳、宝蔵院胤栄を弟子に従えた 剣聖・上泉伊勢守の城
上泉伊勢守信綱像上泉城 は大胡城の支城で、大胡氏一族を補佐する立場にあった上泉氏の居城。天文24年(1555)に、北条氏康に攻められて開城し、城主であった上泉伊勢守信綱は箕輪城の長野氏の配下に納まる。その後の武田や北条の上州侵攻では大勢力の軍勢を相手に奮戦し、君主の長野業盛からは「上野国一本槍」と感謝状を授かっている。

この上泉伊勢守信綱こそ、新陰流の創始者にして伝説の剣聖だ。長野氏が武田に滅ぼされると、武田の仕官の誘いを断って弟子と諸国を遍歴した。各所で多くの弟子をとり新陰流を伝え、後年その弟子たちを祖とした数々の流派の起源ともなっている。
上泉信綱が京都に逗留した折には柳生宗厳(石舟斎)や宝蔵院流槍術の胤栄といった名だたる武芸者の挑戦を受けた。しかし、上泉本人ではなく、同行していた弟子にも全く歯が立たない有様で、二人とも上泉の剣に感服し弟子となった。
後に柳生氏が徳川家の剣術指南役となり、新陰流は天下の剣術となる。

上野国の剣聖は、最近は宇宙を舞台に活躍

歌舞伎や講談で流行った柳生一族や武蔵のようにはヒット作に恵まれなかった上泉信綱には、派手に脚色された伝説的なエピソードというものが無い。そのため、実力では古今無双、後世に与えた影響も計り知れないのに、知名度はいまひとつだ。
脇役としては、上泉信綱の没した1582年に誕生した宮本武蔵 (両方の生没年に諸説あり)の作品には、話に聞く伝説の達人としてしばしば登場している。近年になってやっと信綱が主人公の小説等が、いくつか書かれてきている。

一方、映画ではどうだろう。
黒澤明の「七人の侍」は、世界の名作として今でも評価が高い。その7人の侍たちのリーダーである初老の武士・島田勘兵衛のモデルは、実は上泉信綱だ。上泉信綱について伝わる数少ない逸話の中には、僧に扮して強盗から子供を救出するものがあるが、そのシーンが映画でも描かれている。

ところで、ジョージ・ルーカス本人が語ったところによれば、スターウォーズのジェダイの騎士たちのモデルは七人の侍たちとのこと。そして、島田勘兵衛をモデルとしているキャラクターといえば、ジェダイの騎士たちの年長のリーダーであるマスター・ヨーダである。映画中には、島田勘兵衛の熟考シーンと全く同じように、ヨーダが頭に手を当て悩むシーンもある。

ということは。つまりヨーダ→島田勘兵衛→上泉信綱であり、ヨーダのルーツは上泉信綱である。
そういえば、ヨーダは剣とフォースの達人であるのみならず、ジェダイのグランド・マスターとして後進のパダワンを多数育成した。その姿は、武の道を究め、諸国で多くの弟子を迎えて新陰流を広めた上泉信綱の姿と重なる。(諸説あり。重ならないとも。)

 現在の上泉城址の一角には西林寺があり、境内には伊勢守の墓碑もある。2008年に生誕500年を記念して銅像が建立された。

ついでに赤城山の剣聖の話題をもうひとつ。上泉信綱と同じく長野氏に仕えて武田と戦った武士に、持田監物がいる(持田氏系図による説)。その家系は前橋に続き、子孫に昭和の剣聖・持田盛二を輩出している。戦前から剣士・師範として活躍し、剣道範士十段を授与され、晩年になっても若手を寄せ付けない強さを誇ったという。

現地情報 (群馬県前橋市上泉町1168番地1)

上泉城跡上毛電鉄上泉駅から北へ600mほど、桃ノ木川を天然の堀として上泉城は築城されていた。城の内部には西林寺があり、境内には上泉伊勢守のお墓が現存している。また、本丸部分には、上泉町自治会館が建設されており、その前庭には上泉伊勢守の銅像がある。これは、2008年に建立されたもので、新陰流の基本形である「無形の位」で構える上泉伊勢守の全身像である。この付近では、あちこちに「上泉伊勢守」の文字があり、剣聖は現在でも地元に愛されていることが伝わってくる。

城マップ

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