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特集

【特集】赤城山と鉄道
~赤城をめぐる鉄道のエピソードいろいろ~

特集, 赤城の史跡 2014.01.30(木)
赤城山を背に走る上毛電鉄

赤城山を背に走る上毛電鉄

■はじめに
いま、撮り鉄、乗り鉄、などのことばがあるように、鉄道のさまざまな魅力に関心をもつ方が増えています。
赤城山にも、鉄道にかかわるいろいろな歴史やエピソードがあります。
ここでは、そうした赤城山と鉄道に着目した意外な歴史やエピソード、沿線のみどころをご紹介します。
ぜひ、赤城山の新しい魅力を再発見してしていただき、赤城山へ足を運んでいただければと思います。

■上毛電気鉄道(じょうでん)~~赤城南麓を走る鉄道~~

群馬県の県庁所在地の前橋市・中央前橋駅から群馬県東部の桐生市・西桐生駅を結ぶ上毛電気鉄道(通称:上電(じょうでん))は、全長25.4km、赤城南麓を東西に横断するように走る鉄道です。
上電ウェブサイト

青年の夢にはじまる上毛電気鉄道

勢多郡粕川村新屋(現:前橋市粕川町新屋)に生まれた田島丑太郎(うしたろう)は、早稲田大学の学生時代、当時、「陸の孤島」と呼ばれていた赤城南麓に鉄道を敷くことを夢見て、「勢多郡下の交通に於ける軽便鉄道に敷設に関する専門的考察」という論文を書きました。内容は、大間々-新里-粕川-大胡-前橋・清王子(現:ベイシア文化ホール付近)-群馬総社へと至る路線で、ほぼ、現在の上電のルートに重なります。

田島が早稲田大学の先輩にあたる上毛新聞社長篠原秀吉に呼びかけるなど、さまざまな経過を経て、大正11年「東毛電気軌道株式会社」が発足。その後、同社は、別に設立されていた上毛電気鉄道と合流しました。そして、その後のさまざまな経緯を経て、昭和3年の昭和天皇の御大典にあわせて現在の中央前橋-西桐生間が開通しました。(なお、後で触れますが、この開通当時に走っていた車両「デハ101」は、現在でもイベント等で活躍)。こうして歴史をたどると、上電は、青年の夢に始まる鉄道といえます。

サイクリングと相性のよい上電

平日の朝のラッシュ時以外は、無料でマイ自転車を持ち込みできる「サイクルトレイン」を年間を通じて実施しています。また、中央前橋、大胡、赤城、西桐生の各駅では、観光のお客さんにレンタサイクルを無料で貸し出しています。ありそうでいて、意外にないこうしたサービス。特にサイクリングの時期などは、おすすめです。

ユニークな上電グッズ・・・コレクションしたくなるグッズの数々

上電では、さまざまなグッズも売り出しています。
例えば、電車の形をした専用の箱に入ったパウンドケーキ「上電パウンド」(850円)、創業以来脱線したことのないレールを支えてきた枕木の入った「お守り」(350円)、「乗務手帳」(1,000円)など、他ではあまりお目にかかれないユニークなグッズが人気を呼んでいます。ほかにも、いろいろあり、インターネットでも注文ができますので、ぜひ、チェックしてみてください。

*上電HPのグッズのページ

上電パウンド

上電パウンド

お守り

お守り

レトロな魅力あふれる大胡電車庫・・・昭和3年製造のレトロな電車も見られます

国の登録有形文化財に認定されている大胡電車庫(大胡駅に隣接)は、年間通して一般公開されています。(見学時間:13時から15時30分。料金:170円で、要予約)。ここでは、昭和3年に製造され、いまだ動くレトロな電車「デハ101」なども見学することができます。

大胡電車庫

大胡電車庫

富士山下駅・・・小さな富士山への玄関口

桐生市にある小さな無人駅「富士山下(ふじやました)駅」。この駅を、世界遺産登録された富士山への玄関口と勘違いして訪れる外国人が時々みられるそうです。たしかに、この駅の近くには、富士山と呼ばれる標高160mの小さな山があり、頂上からは渡良瀬川のきれいな眺めを楽しむことができます。なお、上毛電鉄では、この群馬県の小さな富士山への登山はいかが、とPRをしています。

*上電HPの富士山下駅PRページへリンク

上電沿線のみどころのご紹介

裾野の長い赤城山は、見る方向でさまざまな形を楽しむことができますが、上電の車窓からはこうした変わりゆく赤城山の景色を楽しむのにぴったりです。
上電沿線には、たくさんの見どころがありますが、ここでは主に駅から徒歩やバスなどでアクセスできる見どころをご紹介します。

アーツ前橋(中央前橋駅から徒歩約10分/前橋市千代田町)
平成25年10月にオープンした、地域の創造の拠点を目指す美術館。

ぐんまフラワーパーク(大胡駅からデマンドバス20分/前橋市柏倉町)
四季の花から日本庭園、熱帯花木温室などが楽しめる総面積18haの公園施設。

ぐんま昆虫の森(新里駅からデマンドバス10分/桐生市新里町)
昆虫観察館で昆虫類の観察や里山での自然体験が楽しめます。

岩宿遺跡・岩宿博物館(赤城駅からタクシーで約15分/みどり市笠懸町)
旧石器時代に日本に人々が生活していたことを初めて証明した遺跡とその意義がよくわかる博物館。

桐生が岡動物園(西桐生駅から徒歩10分/桐生市宮本町)
無料で100種類以上の動物が見られる動物園。

ぐんまフラワーパーク

ぐんまフラワーパーク

ぐんま昆虫の森

ぐんま昆虫の森

■赤城駅(上毛電気鉄道・東武鉄道)の名前の由来

赤城山の東麓のみどり市大間々町。この大間々町の中心には、上毛電気鉄道の主要駅であり、また、東武鉄道桐生線との接続駅でもある赤城駅があります。ここ赤城駅には、東京・浅草からは、東武鉄道・特急りょうもう号で2時間ほどで到着します。
さて、この赤城駅ですが、赤城山からは随分離れているのに、なぜ、赤城駅という名前なの?と思っている方も多いのではないでしょうか。

歴史をひもとくと、赤城駅は、開業した昭和3年から33年までは、新大間々駅という名前でした。(すでに足尾線(現:わたらせ渓谷鐵道)に大間々駅があったため、「新」を付けた)。そして、新大間々駅が赤城駅へと改称された背景には、赤城山登山ルートの歴史が大きく影響しています。

今でこそ、東京から赤城山頂へのルートというと、赤城山南麓の前橋方面から通称赤城県道(県道前橋-赤城線)経由が主流です。しかし、これが整備される前、赤城山東麓のこちら、赤城駅(新大間々駅)経由で赤城山へ至る経路が一般的な時代がありました。東武鉄道で浅草から赤城駅(新大間々駅)まで来て、そこから、足尾線(現:わたらせ渓谷鐵道)の水沼駅まで行き、そこから、利平茶屋(現:桐生市黒保根町)経由で山頂の鳥居峠へと至る、というルートでした。さらに、戦後のレジャーブームで、昭和32年には、利平茶屋と鳥居峠の間に東武鉄道が運営するケーブルカー(赤城登山鉄道)が完成し、これに合わせ、赤城山登山の玄関口という意味を明確にするため、翌33年には新大間々駅が赤城駅へと名称変更されたというわけです。

しかし、昭和41年に赤城南面有料道路が整備されると、赤城山南麓の前橋方面から山頂へと至るルートが主流となり、赤城駅、ケーブルカー経由で山頂へと至るルートは次第に人気に陰りが見え始め、ついには、ケーブルカーもオープンから10年後の昭和42年には営業休止、翌43年には廃止となってしまいました。そして、現在では、赤城駅という名前が残ったという次第です。

赤城駅

赤城駅

■わたらせ渓谷鐵道~~赤城東麓を走る鉄道~~

群馬県桐生市から栃木県日光市足尾町を結ぶわたらせ渓谷鐵道(愛称:わてつ)は、名前のとおり、渡良瀬川の渓谷に沿って走る鉄道です。
わ鐵ウェブサイト

地域の歴史を閲(けみ)してきた鉄道:
足尾鉄道株式会社から国鉄足尾線へ、そして、第三セクター鉄道わたらせ渓谷鐵道へ

わたらせ渓谷鐵道の歴史を振り返ると、その目的、経営主体の面で、他の鉄道ではあまり例のない変遷を経てきたことがわかります。
最初は、歴史の教科書でもご存じの足尾銅山で産出される銅の輸送を目的とするもので、足尾鉄道株式会社という会社により、明治44年に桐生-大間々間が、大正元年には桐生-足尾間が、そして、大正3年には現在の終点でもある間藤まで全線が開通しました。つまり、最初は、銅の輸送のための私鉄としてのスタートです。設立当時、この会社の株主は、古河市兵衛をはじめとする古河鉱業関係者でした。
そして、大正7年には政府に買収され、国鉄足尾線となり、銅の輸送、沿線住民の重要な足としての歴史を歩みました。

しかし、戦後は、草木ダムによる草木地区住民移転などの人口流失・過疎化に加え、昭和48年には、ついに足尾銅山が閉山。その結果、旅客利用・貨物輸送が激減、国鉄としての廃止対象路線に指定されてしまいました。
そして、平成元年3月には、地元自治体や企業、銀行が出資するいわゆる、第三セクター鉄道「わたらせ渓谷鐵道株式会社」として生まれ変わりました。

なお、わたらせ渓谷鐵道では、社名の「てつ」の字に通常の「鉄」でなく、旧字体の「鐵」を使っています。これは、「金(かね)」を「失う」ことのないようにとの願いが込められてのことだそうです。この願いの通り、現在では、トロッコ列車などのさまざまな企画、沿線の観光資源、また、首都圏から最も手軽に渓谷美が楽しめる路線であることなどが再評価され、観光路線としても人気を集めるようになってきました。

こうして振り返ると、「銅の輸送のための私鉄」から、「沿線住民の足としての国鉄」へ、そして「観光鉄道としての側面も持つ第三セクター鉄道」へ。激動の地域の歴史を閲してきた鉄道であるといえます。

足尾は、渡良瀬川沿いなのになぜ栃木県?

わたらせ渓谷鐵道株式会社の終点は、栃木県日光市足尾町。いうまでもなく、わたらせ渓谷鐵道という名称のとおり渡良瀬川沿いです。
通常、川の分水嶺や高い山など、自然の障壁が県境となっていることが多いのですが、ここ足尾町は渡良瀬川流域で、足尾町と群馬県との境には目立った自然の障壁もありません。一方、足尾町と旧日光市域(注参照)の間には、日足トンネルという長いトンネルがあります。
(注:平成18年に日光市、足尾町を含む5市村村が合併し、現在の日光市が誕生)

このように、足尾町が自然の障壁という視点でいえば、群馬県のように見えるにもかかわらず栃木県であるのは、古代、群馬県を支配した上毛野氏と栃木県を支配した下毛野氏が領土争いをし、上毛野氏が争いに負け、土地を奪われたためであるという説があります。
この説を裏付けるように、赤城山と日光の二荒山(男体山)の神が争ったという伝説があり、いまでも、二荒山神社では、毎年1月4日に赤城山に向かって矢を射る神事が行われています。

大正時代の足尾線を利用した赤城山への旅行記

群馬県立土屋文明記念文学館発行の「あゝこれ山-赤城山文学紀行-」には、大正時代に東京の学生たちが、赤城山頂へ鉄道と徒歩で登った記録「赤城旅行覚え書き」が紹介されています。
大正14年(1925年)の話ですから、いまから90年も前になりますが、克明に時刻まで記録があることで、遠い昔のことのように思えず、まるで、今の大学生の登山サークルのブログを読んでいるような感じさえして、とても親しみがわくものになっています。

大正14年6月4月
7:20   上野駅発
高崎経由、桐生乗り換え
13:55   足尾線水沼駅下車
その後、利平茶屋を経由し、徒歩3里(約12km)
18:00過ぎ 赤城山頂の猪谷旅館(注:大沼南側にあった)に到着

6月5日
赤城山頂から西に下り、上越線敷島駅着
敷島駅を出発し、新宿駅まで

わてつ沿線の見どころのご紹介

高津戸峡(みどり市大間々町高津戸:大間々駅から徒歩5分)
「関東の耶馬渓」とも呼ばれる渡良瀬川の中流に広がる美しい渓谷。

水沼駅温泉センター(桐生市黒保根町水沼)
駅に併設された全国でも珍しい温泉センター。

レストラン清流(みどり市東町神戸)
神戸駅のホームにある、かつて東武鉄道で使われていた車両を利用したレストラン。

富弘美術館(みどり市東町草木:神戸駅からバス10分)
星野富弘さんの心あたたまる作風の絵画を楽しめます。

わたらせ渓谷鐵道

わたらせ渓谷鐵道

千葉県を走る流鉄と赤城山

赤城山から100km以上離れた、千葉県の西北部のまち、流山市。ここには、流鉄(りゅうてつ)という鉄道が走っています。(平成20年に総武流山電鉄から改称)
この鉄道は、意外なことに、赤城山との関わりがあります。
例えば、平和台駅という駅ですが、この駅は、昭和8年に赤城駅という名前で設置されました。その後、昭和40年に赤城台駅と改称され、さらに昭和49年に現在の平和台駅へと改称されました。
また、愛称「あかぎ」という列車が走っています。

さて、なぜ、赤城山から遠く離れた千葉県の流山に、赤城の名前を付けた駅や列車があったのでしょうか。
それは、流山という地名が、かつて、赤城山の山体の一部が流れてきてここに流れ着いた、という伝説があることに由来しています。

現在でも、このつながりから、赤城山麓を走る上毛電気鉄道とこの流鉄では、連携事業をしており、平成25年10月20日から26年1月末まで、「上毛電鉄・流鉄 赤城山電車ラリー」というスタンプラリーが開催されました。
流鉄のウェブサイト

5000形「あかぎ」

5000形「あかぎ」

■東武伊勢崎線、スカイツリー、そして、赤城山の意外な関係
→ サイト内特集記事

■わたらせ渓谷鐵道各駅イルミネーション
→ サイト内特集記事

■むすびに
これまで赤城山と鉄道に着目して、歴史やエピソード、みどころをご紹介してきました。鉄道に興味のある方はもちろん、多くの方に、意外なエピソードがあったのではないでしょうか。
これを一つのきっかけにして、赤城山に一層関心を深めていただき、赤城山への足を運んでいただければと思います。

また、ご紹介した上電、わ鐵、東武鉄道、流鉄にご乗車いただき、その魅力を味わっていただければと思います。
(平成26年(2014)1月記す)

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