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【特集】東京・神楽坂と赤城山 
~歴史を超えた意外なつながり~

特集, 赤城の史跡 2013.12.27(金)
神楽坂

東京・神楽坂の様子

 料亭や個性的な店が立ち並び、江戸の情緒を残した魅力的な街、東京・神楽坂。ここには神楽坂・赤城神社があり、神楽坂周辺の人に深く親しまれています。
 一方、群馬の方にとって、赤城山にある赤城神社も広く親しまれています。

 神楽坂は、あまり知られていませんが、この赤城神社でのつながりをはじめ、赤城山と歴史的に非常に深いつながりがあるところです。

【群馬県庁からの赤城山遠景】

群馬県庁からの赤城山遠景

 ここでは、こうした神楽坂と赤城山の意外なつながりを紹介します。
 そして、都内の方には赤城山とのゆかりを知って是非、赤城山に足を運んでいただき、一方、群馬の方には赤城山の意外な一面を知って赤城山への親しみを深めていただきたいと思います。

■神楽坂の名前の由来

神楽坂標識

神楽坂標識

 神楽坂の名前の由来には諸説あるようですが、その有力な説の一つに、坂の途中に神楽坂・赤城神社の神楽殿があったから、という説があります。現在、神楽坂を訪れると、地名の由来を示す標識が立っており、そこには、次のように記されています。

 「坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡の御旅所で神楽を奏したから・・(中略)・・、赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。」
とあります。

■神楽坂・赤城神社の様子

赤城神社奉納旗

赤城神社奉納旗

 地下鉄東西線の神楽坂駅を出ると、通りには赤城神社を示す「赤城大明神」と大きく書かれた奉納旗が至るところにはためいています。地名は、新宿区赤城元町。東京の真ん中にありながら、「赤城」という見なれた地名がそこかしこにあり、群馬県の人には懐かしく、うれしくなる光景です。

赤城神社鳥居

赤城神社鳥居

 神楽坂・赤城神社の社殿は、平成22年に改築され、非常に都会的でおしゃれでありながら、静謐さも兼ね備えています。境内には、「あかぎカフェ」といったカフェや地元との方との交流スペースもあり、地元に根付いた神社であることがよくわかります。平成25年夏に宮司の風山栄雄氏にお会いすることができましたが、宮司さんによると、現在でも、群馬県出身の東京在住者が、赤城山と関係あるのかと関心を持って、よく参拝に来るとのことです。

赤城神社社殿

赤城神社社殿

あかぎカフェ

あかぎカフェ

 ちなみに、「あかぎカフェ」のシェフ中山大輔氏は赤城山南麓の前橋市の出身で、積極的に群馬県産品を食材として使用しているとのことです。

 

         *神楽坂・赤城神社ホームページ リンク

■神楽坂・赤城神社と赤城のつながり

 さて、群馬から遠く離れたここ神楽坂になぜ赤城神社があるのでしょうか。
宮司の風山氏によると、赤城山麓の大胡(現:前橋市大胡地区)からここ牛込地区に移住した大胡重治が、故郷の赤城神社を現在の新宿区早稲田鶴巻町に勧請したのが正安2年(1300)で、その後、太田道灌が牛込見附付近(現在の神楽坂下)に移転した後、大胡勝行が弘治元年(1555)に現在の場所に移転したというのが、把握できている社史である、ということです。簡単にいえば、赤城山麓の大胡から移住した大胡氏が故郷から赤城神社をお招きしたことに神楽坂・赤城神社の歴史はさかのぼる、ということになります。
 風山氏によると、この社地一帯は高台で、社殿北側からは特に見晴らしがよい、とのことです。そのことからも、大胡氏が神楽坂・赤城神社を赤城山を望めたかも知れない見晴らしのよい場所を選んで移転したことがわかる、とのことです。確かに、風山氏に案内されて社殿を拝見した際、北側からの眺めはすばらしいものでした。当然、現在ではビルが立ち並び赤城山を眺めることができませんが、しかし、今でも赤城山頂からはスカイツリーが見えることを考えると、かつては、ここから赤城山が望めたのではないか、といった想像が膨らみます。

江戸時代の赤城神社

江戸時代の赤城神社

 なお、神楽坂のある新宿区は、歴史的にいうと、神楽坂のある牛込区、現在の新宿駅周辺の淀橋区、そして四谷区の3つの区が合併して昭和22年にできた区です。今でこそ、新宿区といえば新宿駅周辺を思い浮かべますが、歴史的にはこの牛込が最も古く、その中でも神楽坂は特に長い歴史を誇るところです。また、牛込のほとんどの町会である31町会が神楽坂・赤城神社の氏子さんとなっている、とのことです。
 また、江戸時代、この神楽坂・赤城神社は、神田明神、日枝神社と並んで「江戸の三社」と称され、山車は江戸城への入城を許されていたとのことです。これは筆者の推測の域を出ないことですが、徳川家がこの神楽坂・赤城神社を大事にした背景には、徳川家の祖地である上州・徳川村(現:群馬県太田市徳川町)が赤城山を望む場所であるということと多少の関わりがあったのではないかと感じています。

東京都心から見える赤城山

下の写真は、赤城神社から2キロほどに位置する文京区シビックセンターの25F展望ラウンジからの眺望。
前日に雨や強い風が吹いた冬の日で、関東一円が晴れ渡っていれば、都心からでも赤城山を見ることができる。
左の写真に、赤城山の山容がうっすらと写っているのが、お分かりいただけるだろうか。(写真クリックで拡大。)
右の写真は、コントラストを補正したもの。小石川植物園の先に、赤城山の全体が見える。鍋割山の左には白く写りこんだのは、肉眼では見えなかったが谷川連峰だ。

文京区シビックセンターから見える赤城山 2014年1月撮影

補正前

文京区シビックセンターから赤城山_補正

コントラスト補正

■大胡氏と牛込城

 さきほど触れた、現在の神楽坂・赤城神社につながる赤城神社を新宿区早稲田鶴巻町に勧請した大胡重治は14世紀の人物で、その後の大胡氏の動きは不詳な部分が大きくここでは省略しますが、その後裔と思われる16世紀前半の大胡重行が、現在の神楽坂の光照寺のある場所(新宿区袋町)に牛込城という城を構え、ここ牛込から、赤坂、日比谷一帯を領有していたというのは確かなようです。赤坂から日比谷一帯といえば、まさに、現在の日本の中枢。現在ではこうした重要な地を、かつて赤城山麓から移住した歴史を持つ一族が治めていたというのは、興味深いところです。そして、重行の子の勝行が牛込見附付近にあった赤城神社を現在地に移転し、また、姓も牛込氏に改めた、とのことです。
 現在、牛込城があった光照寺には、当時をしのぶものは残されていませんが、寺の入り口にある新宿区教育委員会設置の看板がそのゆかりを示す唯一のものといえます。

光照寺入口

光照寺入口

光照寺

光照寺

■文人に愛された赤城山と神楽坂

 赤城山は、志賀直哉の小説「焚火」の舞台となったほか、与謝野晶子など多くの文人が愛した文学の山です。赤城山頂にある観光総合案内所では、入口に、芥川龍之介が赤城山を詠んだ句を記した大木の一枚板が出迎え、館内では大きなスペースを使って赤城山と文人とのつながりを紹介しています。また、赤城山頂には、文学愛好者で構成される「れんげつつじの会」というグループがあり、年間を通じて、赤城山にちなんだ俳句を募集しており、多くの句が投句されています。例年6月頃には、一年間の優秀な作品の表彰式が赤城大沼湖畔で盛大に開催されており、赤城山が今もって、文学の山であることがわかります。
 一方、神楽坂も、文学・文芸とのつながりが深いところです。明治時代から尾崎紅葉や坪内逍遥が神楽坂を舞台に活動しており、加えて夏目漱石を中心とするグループなど、多くの文士たちの交流がこの地でありました。現在でも印刷・出版に携わる方が多く、さらに作家が長期滞在して執筆する旅館なども残るなど、多くの文化人が訪れる街となっています。
 歴史的につながりの深い赤城山と神楽坂が、ともに近代文学・文芸の重要な舞台となったことは興味深いところです。

赤城山総合観光案内所

所在地:前橋市富士見町赤城山1-14
電話番号:027-287-8061
営業日:無休(営業期間は4月中旬から11月中旬まで)
営業時間:午前9時から午後4時
入館無料
最寄のバス停:新坂平

■大胡氏が神楽坂に残した土地の記憶

 大胡氏の出身地である大胡という地名にある「胡」という文字は、本来、渡来人を指し、一説には、大胡は渡来人が多く住んだ地と言われています。話は脱線しますが、群馬県高崎市吉井地区には、同じ意味の「多胡」という地名があり、その近くにはかつて渡来人により多胡郡という郡が設置されたことを示す多胡碑があり、日本三古碑の一つとされています。
 閑話休題。こうした渡来人がかつて多く住んでいた大胡から移住した大胡氏が発展に寄与した神楽坂には当然、大胡氏のもたらした文化や風土が大きく影響していると思います。
 NPO法人粋なまちづくり倶楽部著「粋なまち神楽坂の遺伝子」という本には、次のような一節があります。
 「大胡氏-牛込氏の持つ高い武士団文化とともにもとから居住していた村民が混在し、相当ハイレベルな社会を形成しつつあったのではないだろうか。(中略)大胡氏-牛込氏は、神楽坂というまちに、良質でのどかな文化的雰囲気・空気を残していったと考えられる。」
 現在でも、群馬県の人は、県外出身者を区別することなく受け入れ、県外・県内出身者の別なく親しくしますが、これは、そもそも渡来人の多い土地であったという群馬県の歴史と関係があるのではと筆者は感じており、ここ神楽坂で初めての方でも感じる開放的な雰囲気、また、先の著書の一節にある「のどかな文化的雰囲気・空気」を感じるのは、赤城山麓から移住した大胡氏が残していった「土地の記憶」のようなものではないかとも感じています。

大胡城址

大胡城址

大胡城址

所在地:前橋市河原浜町660-1
大胡城址

大きな地図で見る

■神楽坂と赤城山麓・前橋藩の不思議なつながり

 今の神楽坂通りがそれらしくなったのは、江戸時代はじめと言われています。寛永5年(1628年)に若狭国小浜藩主であった大老酒井忠勝が神楽坂の矢来町に屋敷地を拝領し、その後、大老の登城道路として整備が進み、今の神楽坂の原型ができたそうです。
 ここで不思議な因縁を感じるのは、その酒井忠勝が赤城山麓の前橋藩の藩主であった酒井家の親戚であり、さらに、酒井忠勝の次の大老を務めたのが前橋藩主・酒井忠清であったということです。歴史の偶然とはいえ、神楽坂と赤城のつながりで興味深いところです。

■結びに

 これまで、いろいろと、東京・神楽坂と赤城山の意外なつながりをご紹介してきました。数百年の時と約100キロ(赤城山-神楽坂)の空間を超えたつながりに興味をもっていただけたのではないでしょうか。
 都内の方にはこれをきっかけにぜひ、赤城山への関心をもって赤城山へ足を運んでいただき、また、群馬の方には一層、赤城山への親しみを深めていただければと思います。

   【平成25年12月記す】

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